報道によると、福岡地裁は今日、特定危険指定暴力団・工藤会のトップが殺人などの罪に問われた裁判で、同会の総裁に死刑判決、会長に無期懲役の判決を言い渡しました。
個人的には大いに関心のある裁判でした。というのも、私は地元民放記者時代に北九州支社に勤務したことがあり、その頃と警察が本腰を入れて工藤会の壊滅に乗り出した時期が重なっていたからです。
8月21日の毎日新聞によると、工藤会の構成員数のピークは2008年(平成20年)で1210人。現在はほぼ3分の1になっているといいます。私が小倉に住んでいたのは、まさにピークの頃です。
仕事帰りに紺屋町あたりで食事をしたり、スナックに立ち寄ってカラオケを歌うこともありましたが、その頃はかなりの頻度で店の奥まった席に「関係者」の姿を見かけていました。お店の方にヒソヒソ話で尋ねれば、「あれはどこの組の誰と誰よ」などという話が聞かれた時代でした。
今日の判決の最大のポイントは、それぞれの実行犯が既に有罪判決を受けた、殺人など4つの凶悪事件について、工藤会のトップらが「共謀共同正犯」であると認定されたことです。
本稿は、大学時代に必修だった「刑法」「刑事訴訟法」の単位をギリギリで取得した私が「色々と思い出しながら」書いていますので、多分に怪しい中身を含んでいることを先にお断りします。
共謀共同正犯とは例えば、「甲、乙、丙の3人で『丁を殺そう』と謀議をし、仮に3人のうち甲1人だけが実行犯となって殺害を実行した場合であっても、『乙、丙も加わって共謀した事実が立証できれば、共同正犯(甲と一緒になって丁を殺害した)と看做される」ものです。
共同正犯なので、自らが手を下していなくても、手を下したのと同等か、場合によってはより重い量刑が課されることがあります。地下鉄サリン事件などで死刑判決を受けたオウム真理教の教祖がまさにこのケースです。そして今回の極刑判決も、工藤会のトップに対して、実行犯以上の刑を課した事例になるかと思います。朝日新聞によると、暴力団の現役トップへの極刑判決そのものが「初めてとみられる」とのこと。
報道によると今日の判決は、工藤会のトップが起訴された4つの事件で、いずれも共謀をした事実を認定したようですが、「いつ、どこで、誰が、どのような共謀をした」という具体的な判示はなかったようです。公判で検察側が主張した通り、暴力団組織の特性からトップの関与を「推認」して、共謀や指揮命令があったとの結論を導いたのだと思います。
罪状の根幹に関わる共謀の事実が「推認」を元に認定されるというのは、本来なら考えられないことで、法治国家である我が国の刑事法制が寄って立つ「疑わしきは被告人の利益に」という考え方、「推定無罪の原則」とは相容れないもののはずです。
こうした根幹的な法理をギリギリのところでかわしてでも、暴力団による犯罪を厳罰化してゆくという司法の姿勢が明確になったという意味では、今日の判決は我が国の大きな潮流を象徴するものであり、日本の刑事裁判史に残るものだと思います。
などと、大仰なことを書きながら、あまり内容に自信はないのですが…。
暴力団による犯罪の厳罰化の潮流は、もはや堰き止めようのない大河の奔流になりました。我が国で唯一、特定危険指定暴力団に認定されている工藤会は、今後さらに弱体化してゆくことが避けられないと予想されます。誰もが理不尽な暴力に怯えることなく暮らせる社会が、一日も早く実現に近づくことを切望するものです。
一方で、先日もこのブログに書いた通り、国を挙げた現在の暴追の機運が捜査機関に与えた権力には「行き過ぎ」を疑わざるを得ない部分もあると感じています。
これからの生き方を変えたいと願う構成員がいれば、思い切って人生をやり直せる社会、それを受け入れることができる社会であることも、忘れてはならない視点です。
自治体レベルでも、いわゆる協力雇用主の開拓にさらに力を入れるなど、「排除、排除」の大合唱に終始していた今までとは違った一手先の取り組みが、これからは求められるのだと思います。
これまでも暴追のための様々な法整備の役割を政治が果たしてきましたが、ここからが真に政治が試される場面なのかもしれません。