みなさん、こんばんは。調たかしです。

さて、前回から少し時間が空きましたが
引き続き視察のご報告をしたいと思います。

園児たちの「離れワザ」の数々は前回ご紹介した通りですが
「ヨコミネ式教育法」を考案した横峯吉文さんは
「全てのこどもたちが天才である」
「天才は10歳までに作られる」
ということを
様々な講演や書物の中で述べられています。

10月31日、志布志で実際にお話を伺いましたが、
まずは印象に残った言葉を幾つか並べてみたいと思います。

①保育園、幼稚園での教育は人間においての基礎工事。
  建物と同じで最も重要である。
②この時期に自学自習の習慣がつけば、小学校・中学・高校は自分で勉強していける。
③保育園で一番に教えているのは「はい」という返事ができること。
④幼稚園・保育園での教育で身につけるべき学力に明確な基準がない(※)ことが問題

特に④については、はっとさせられるエピソードの紹介がありました。
横峯先生によると、幼稚園・保育園の教育方針の違いで
小学校入学時の学力に大きな差がつくことが多々あり、
それが原因になって小1で不登校になってしまう児童がいるというのです。

幼児教育で身につける学力についての考え方は、
施設毎にかなり「バラつき」(或いは『個性』とも言うべきもの?)があります。
しかし、「幼児期はのびのびと。勉強は小学校で」という方針で育った子どもと、
ヨコミネ式のような英才教育を受けた子どもとの間には、
幼児教育の期間だけでも歴然とした差がつくのだということを
私は今回の視察を通じて見せつけられました。
そして世間の大人たちが、このことをもっと知らなければならないと感じます。

小学校からは学習指導要領に沿って、身につけているべき学力には
明確な基準が設けられますが
幼児教育に関しても、はっきりとしたものが必要なのではないでしょうか。

幼稚園・保育園での教育には、程度の差はあれ多少なりとも税金が使われています。
わが国の未来にとって重要な公教育の場であるからに他なりません。
であるならば、そこで身につけるべき学力に関して
幼稚園・保育園任せにしてしまっている現状は
ある意味「公」の責任放棄であり、怠慢と言われても仕方がないことだと思うのです。

志布志は農業、漁業、観光の町ですが、過疎化・少子高齢化が進んでいます。
視察した保育園の子どもたちは、決して選ばれて入園した子たちではありません。
むしろ園の周辺に住んでいる、平均的な所得層の子弟がほとんどだそうです。
しかし、彼ら、彼女らが私たちの前で軽々とやってみせることは「特別」なことばかりでした。

視察を終えた率直な感想として、私はヨコミネ式教育のように
子どもを甘やかさず、学習面、体力面等で卒園までの明確な目標を掲げ、
たえず子どもに課題や試練を与え、達成の喜びを教える幼稚園・保育園を
今後もっと増やしていくべきではないかと考えます。
もちろん、全ての幼稚園・保育園が同じようにすべきだとは言いません。

ただ、幼児教育は全ての子どもたちが持っている高いポテンシャルを前提に
考えていくべきなのではないでしょうか。
「小さい子どもだから、まだできないだろう。」
そう決めつけて保護だけを与え、課題や試練を与えないことは
無限の可能性を秘めた子どもたちの芽を摘むことに他ならない。

志布志の子どもたちは、そう教えてくれているのだと思います。

(※)学習指導要領と類似して幼児教育には「幼稚園教育要領」がありますが
   「平仮名の読み書きができる」等々、具体的な学力レベルへの言及はありません。