忘年会のない年末は、かくも年末の実感がないものかということを実感しています、調たかしです。
コロナ禍で生活が大きく変化しました。私の年末の実感などは実はどうでもよく、飲食業をはじめ、忘年会シーズンと関係が深い事業者の皆さんのことが案じられます。せめて、福岡市の感染者数が現状のレベルで踏みとどまることを願わずにはおれません…。
さて、今朝の新聞報道では、自民党内における選択的夫婦別姓の議論が紛糾する様子が紹介されていました。第五次の男女共同参画基本計画の策定にあたり、選択的夫婦別姓がどのように盛り込まれるかが焦点になっていましたが、党内では特別委員会で計画案を揉んでいるようです。
報道された限りでしか議論の中身はわかりませんが、選択的夫婦別姓の導入に賛成する意見で気になったのは、「結婚により姓が変わることへの抵抗から結婚に踏み切れないカップルがいて、少子化の一因ともなっている」といったものです。
また反対意見では、「両親と子どもの姓が違うことは子どもにとって望ましくない」という意見が気になりました。
ともに、なるほどなと思います。その上で、私が強く感じたのは、賛成意見の「少子化の一因」という指摘について、推論に終わるのではなく、調査をしてはっきりさせるべきではないか、ということです。
結婚した夫婦が生涯に授かる子どもの数(完結出生児数)は、実はおよそ50年ほど前からほとんど変わっていません。1970年代に2を下回るも、そこからはずっとほぼ横ばいです(2015年で1.94)。結婚したカップルは、今も50年前も平均して2人弱の子どもを授かっています。
つまり、近年の少子化は「非婚」「晩婚」「晩産」に根本的な原因があると言えるでしょう。このことは過去に議会質問でも指摘しました。「少子化対策を本当にやる気があるのなら、結婚したくなるまちづくりを目指すべきだ」と。更には、晩婚や晩産の結果、望んでも子どもを授かりにくくなってしまう「不育症」の問題を福岡市議会の本会議場で初めて話題にしたのは、私の質問だったと記憶しています。
今議論されている第五次男女共同参画計画の原案では、結婚により女性の96パーセントが姓を変えている現状があり、自らの姓が絶えることがネックになって結婚に踏み切れないという声があることを紹介した上で、「夫婦別姓が少子化の一因となっているという指摘もある」としているようですが、ここは「指摘もある」程度の記述で終わらせるのではなくて、突っ込んで実態を調べるべきだろうと思います。
未婚者、特に女性の中に、姓が変わることへの抵抗で結婚に踏み切れないケースが、調査の結果本当に一定数あるのだったら、是非に及ばず。夫婦別姓を容認すべきです。過去50年あまり変わらない統計を根拠に言いますが、間違いなく少子化対策になるでしょう。
逆に、「そんなことを言っている人もいます」という域をいつまでも出ないのであれば、私は賛成だ、反対だという意見の対立、どちらもそれなりに確からしい議論の対決がこの先も延々と続いていくような気がします。
私自身、男女共同参画という視点からあまりこの問題を議論する素養を持ち合わせません。というより、既にちょっとズレてないか?と感じてさえいます。
夫婦別姓の是非を論じる上で「自分は保守だから」とか、「これまでがどうだったから」という論には与(くみ)するつもりはないし、かといって「夫婦に同姓を強いることが女性の社会進出を阻害する」と言った論にも与しないつもりです。
もしこれが少子化に関わる問題であるならば、自民党内でも、いち行政計画の書きぶりとがどうということとは別格に扱って議論をして頂きたいものだと、そう思いました。