朝から久々に胸糞の悪くなる記事を読みました。朝日新聞のデジタル版から、記事の写真を転載します。
自民党総裁選を巡る報道で、6日の朝刊3面に「若手議員、『顔』品定め」の見出しと「衆院選勝てるなら誰でもいい」との見出しが。
記事の中身が間違っているとは思いません。総選挙が近づく中で、自民党衆議院議員の約半数を占める当選回数3回以下の若手の中には、選挙の顔が変われば自身も戦いやすくなると考えて小躍りし、記事のようなスケベ根性丸出しのコメントをする輩が一人はいたのでしょう。
しかし「勝てるなら誰でもいい」と、こんなに大きな見出しに取ったことは、悪意に満ちていやしないか?と感じたので、しかも、私にはそう感じる相応の理由もあるので、今日はささやかな抗議の意味を込めて、私見を述べたいと思います。私がこのブログに書いたからと言ってどうということはないのですが。
記事の中身を読んでみると「若手の一人は、『勝てるなら誰でもいい』とまで話す」とあり、朝日新聞はこの「若手の一人」の発言を大きく引き延ばしたのだと思います。
総裁選を巡る動きのほとんどは報道で知る程度でしかありませんが、唯一、私の方がメディアよりも見えているだろうと思うのは、身近な若手国会議員の動きです。
例えば、地元選出のある当選3回の若手議員。岸田文雄・前政調会長の出馬表明以降、地元選挙区にはほとんど帰ってきません。岸田氏の政策発表会見などを切り回したり、党内での支持拡大などに全力で取り組んでいます。地元からは、「総裁選よりも自分の選挙をしなければ」という苦言がもちろん聞かれます。それでも「国のことが優先だから」と東京で頑張っています。
純粋に国の未来を思い、総裁選の有権者である党員に対して、そして多くの国民に対して、コロナ禍を早期に乗り越えるための政策を訴えかけようと汗を流している若手がいることを、私は知っています。そして、そんな当選3回以下の若手は決して一人ではありません。
こうしたことに目を止めるかどうか、記事に盛り込むかどうかは、取材する側の勝手です。ただ、「勝てるなら誰でも」などというスケベ根性丸出しのコメント、しかも匿名のコメントをわざわざクローズアップして、まるで自民党の若手がスケベばかりのように書くのはいささか浅慮に過ぎないか。悪意に満ちてないか。なんとしてもこの記事で、総裁選にケチをつけたいという朝日新聞のでっかいスケベ心が丸見えになったように、少なくとも私は感じました。あくまで個人の感想です。
メディアの存在意義は権力の監視ですから、ときの政権に批判的な報道は絶対に必要で、実質的に我が国の次の最高権力者が選ばれる今回の総裁選も、もちろん多くの視点から批判の目に晒されてしかるべきです。でも、その批判が仮にレベルの低い当てこすりや、揚げ足取りになってしまえば、ときに読者や視聴者にことの本質を見誤らせることになりかねません。
この際なのでもう少し、日頃考えていることを書きます。
新聞を購読する人の数が減っていることに、私は元メディア人の一人として危機感を持っています。昨今は「ニュースはネットでつまんで読む」という人が増えているかと思いますが、ヤフーなりLINEなりライブドアなりに対して大半のニュースを提供しているのは新聞、テレビ、通信などの既存メディアです。
既存メディアが頑張らなければ、すぐにネットニュースはスカスカになるし、そもそもネットニュースそのものが、十分な権力の監視機能を元から持ち合わせているわけではない(独自取材もあるとは聞きますが)と思います。権力を性悪説で語り過ぎているかもしれませんが、メディアが弱って損をするのは国民だと私は信じています。だから学生さんなど若い人と話す機会には、「新聞はちゃんと購読して読もうね」と勧めています。
そんな認識を持って普段から新聞を読んでいるだけに、ごくたまに怒りが急にピューっと沸いてしまうような記事に出食わすことがあります。今日のは我慢ならなかったので、思ったところを述べました。
書いてみたからと言って、別にスッキリするわけでもありませんね。とにかく、朝から久々に胸糞の悪くなる記事を読みました。