福岡市議会は3日、ロシアによるウクライナ侵攻を非難する決議を全会一致で採択しました。私は所属会派での協議向けに草案の作成を担当したのですが、「領土の一体性の侵害が国際法に反する」こと、「力による現状変更の試みは断じて許されない」こと、「核兵器の使用を示唆するなどの脅しは、唯一の被爆国である我が国として看過できないこと」などを、満腔の怒りとともに書き連ねました。
また我が国政府が、ウクライナに滞在する邦人の保護に全力をあげること、そしてウクライナの人々への人道的な支援に取り組むことを求める内容を盛り込みました。
3日の新聞報道によると、ロシアの軍事侵攻によってウクライナの子どもたちをはじめ、民間人に2千人を超える犠牲者が出ているとのことです。寒空の下、大破した市街地を這々(ほうほう)の体で逃げ惑う民間人の姿は見るにしのびなく、人の命と尊厳への許しがたい蹂躙(じゅうりん)行為を心の底から憎悪せずにはいられません。
国連でも緊急特別会合でロシアの避難決議が採択されました。193の加盟国のうち、141カ国が賛成。反対したのはロシア、ベラルーシ、シリア、エリトリア、北朝鮮の5カ国のみでした。棄権した国にはロシアの軍事侵攻に理解を示し西側諸国を批判している中国が含まれていました。やはりという感じです。
個人的には、開かれたインド太平洋の理念で我が国と協調関係にあるインドが棄権に回ったことは大変残念でしたが…。
欧米ではロシアやベラルーシの製品への不買運動が起きているようです。その一方で、ふと目がとまったテレビのニュースで、中国では「ロシアの製品を買って応援する」という動きがトレンドになっていると報じられていました。
「ネットには『中国の購買力を甘く見るな』などの書き込みが見られた」というナレーションがありました。そもそも中国の国民(人民と書くべきか)がロシア寄りでアツくなってしまう理由がよく分かりませんので、ニュースで紹介されていたロシア買い現象も「官製キャンペーン」のような気もするのですが、いずれにせよこの2つの大国は共同歩調をとっていると言えます。
今日の表題に書いた「枢軸」という言葉。第二次世界大戦においてアメリカ、イギリスなどは当時「連合国」と呼ばれたのに対し、日本、ドイツ、イタリアなどが「枢軸国」と呼ばれました(伊は大戦の終盤は連合国側に)。
連合国が戦勝国、枢軸国が敗戦国なので、どうしても「枢軸」という言葉のイメージが悪いのはしかたないことかもしれません。そして、最近のロシアの非人道的な横暴と、追従するベラルーシ、そしてロシアにシンパシーがいっぱいの中国を見ていると、「きっとこれが21世紀の枢軸なんだろうな」としみじみと思います。
20世紀の枢軸の強烈なイメージはナチスドイツの独裁に象徴されがちです。我が日本の政体は立憲君主制で、憲法の規定上、天皇陛下が陸海軍を率いる(統帥する)ことにとなっていましたが、実際に戦禍を拡大したのは統帥権の独立(議会も行政も介入できないとする考え)を唱えて暴走した軍人たちでした。
21世紀の枢軸を見たときに、ロシアと中国に共通するのは、独裁的、専制主義的な政治が国を動かしているという点です。対する連合国側は、自由と民主主義という普遍的な価値を共有する国々であり、対立構図は実にはっきりとしています。まるで現代の世の中に、冷戦時代のイデオロギー対立が蘇ったかのようです。
ロシアではウクライナ侵攻が始まってから、反戦を訴えるデモが権力によって取り締まられています。ここ2年くらいの間に香港で起きていることと同じことが起きています。人種や言語は違って見えますが、自国の民に対して強権的なところは驚くほどに似通っています。
先日の更新で、銀行間の国際的な決済システム(SWIFT)からロシアの銀行を排除するという経済制裁が効果を上げていること、中国は人民元の国際決済システム(CIPS)を導入していることを書きましたが、ロシアの銀行はCIPSに参加していることから人民元による国際決済という抜け道がありえることを、その後知りました。
この枢軸は、中国が台湾を侵攻することが今後あれば、恐らくはまた相互に助け合うのだと思います。台湾海峡の緊張が高まり続ける中で、いざ火の手が上がればいつ我が国に飛び火するとも限りません。防衛力を高めることが第一義的に重要ですが、今回の国際連携による経済制裁が、ならず者をどれだけ苦しめる効果があるのかをしっかり見極めておく必要性を改めて感じます。