子どもの頃から歴史の話が好きなんですが、最近は熱っぽく語る度に友達が減っているような気がします、調たかしです。

表題は電話番号ではありません。西暦1972年から今年で50年。日本の歴史に残る大きな出来事がたくさんあったこの年から「50年の節目」にあたって感じたことについて今日は書きます。

去る5月15日は、沖縄県が設置されてから50年の節目でした。戦後長らくアメリカの統治下にあった沖縄が本土に復帰してから今年で50年になります。

是非について語るつもりはないのですが、事実として現在も日本の米軍基地の7割が、沖縄県にあります。基地と隣り合わせの地域では、学校の校庭で遊んでいる子どもたちの頭上で軍用機が爆音をたてます。基地負担の軽減はこの間ずっと課題であり続けていますが、台湾海峡の緊張の高まりや尖閣諸島周辺における中国艦船の度重なる領海侵犯など、近年の我が国を取り巻く情勢に照らせば、皮肉なことに沖縄に置かれた米軍基地の戦略的な意味合いは増す一方です。

日中国交正常化も72年のことでした。台湾とは戦後いち早く国交を回復した我が国は、中国と友好条約を締結し国交を樹立したこの年に、台湾から断交を宣言されました。このときの判断、さらにはその後も中国で共産党政権が肥大化していくのを支援し続けてきたことが、今になって我が国の首を絞めています。

戦後も米軍からの投降の呼びかけを拒み、グアムで潜伏生活を続けていた元日本兵の横井庄一さんが帰国したのもこの年でした。「恥ずかしながら帰って参りました」との有名な口上は、子どもの頃にテレビでたまに見かけたので記憶に残っています。

こう見ると、半世紀前というのはすごく昔のようでもあり、つい最近のことのようでもあり。この間、私たちの日々の暮らしが戦争の脅威に晒されることは一度もありませんでしたが、国境に目を向ければ半世紀前とは違った困難が生じました。

50年前の日中国交正常化は、アメリカの大統領が中国との友好交渉について電撃的に発表した「ニクソン・ショック」に結果として我が国が引きずられた格好になっていて、今となっては当時の日本にこの選択しかなかったのかという疑問も生じます。

いま何となく半世紀後の2072年を想像してみると…。2022年の我が国はロシアによるウクライナ侵攻をきっかけに、西側の自由主義・民主主義諸国との共同歩調路線に向けて大きく舵を切ったという点で、安全保障上または外交上の大きなターニングポイントを迎えたと回顧されるような気がします。願わくば外的な要因に惑わされることなく、国益に沿って、かつ未来の国民にとって正しいと言える道を選択したいものです。