安倍晋三元首相が亡くなった銃撃事件から3週間あまりが経過した昨今、世間の関心は宗教と政治の関係に集まっています。

報道によると容疑者は、母親が旧・統一教会に傾倒して多額の寄付をした結果、家庭生活が壊れたことに恨みを募らせていたところ、安倍元首相が教団に寄せたビデオメッセージをみて逆恨みをしたのが動機に繋がったと見られるようです。最近のメディアでは、誰がこの教団から選挙の支援を受けていたのかとか、または教団の行事に出席したり、祝辞を寄せたりしたのかということの「炙り出し」が、盛んに行われています。

新聞や週刊誌などの活字メディアを読んでいると、「こうした政治家は教団との関係を説明しなければならない」といった論調を目にするのですが、正直に言ってあまりピンとこない部分があります。

それは、政治家が教団との関係を説明した先に、日本の社会が何を目指すべきなのかという肝心な部分が、現段階ではあまり論じられていないからです。

宗教と政治の関係は、とっくの昔から切っても切れないものになっています。宗教と経済との関係もまた同様です。宗教に功罪あることは周知の事実でありながら、大なたを振るうような議論は起きにくい構造があった。長いことたなざらしになってきた問題が明るみに出たのだと思います。

これからどうするべきなのか、最近は私もあれこれ思案をしています。

いわゆるカルト宗教に対する何らかの規制を設けるべきでしょうか?これは言葉の上では非常にわかりやすいのですが、法整備の段階では恐らく「何をもってカルト宗教と認定するのか」という壁にぶち当たるため、容易ではないような気がします。

宗教法人が受ける寄付など、営利活動以外の収入の多くが非課税になっていることを問題視する意見も目にしますが、今回の事件の直接のきっかけからは少しピントがずれる気がするのと、歴史ある寺社仏閣などが人々の浄財によって適切に保存されることには公益的な意義があることを考慮すれば、一律に課税することには慎重にならざるを得ないと思います。結局はここでも、課税する宗教法人、しない宗教法人の線引きをどうするのかという壁にぶち当たってしまいます。

思想信条の自由は、基本的人権の中でも最重要の分野といえるでしょうから、個人的な信仰を規制することはできません。かといって、今回の容疑者の家庭のように、母親の度を越した寄付行為などによって子どもをはじめ周囲の家族にまで不利益が及んだ場合に、こうした周囲の人々を救済するための特段の有効手段がないことには、問題がないとは言い切れません。

安倍政権下の平成30年には、いわゆる霊感商法を不当な勧誘行為として契約を取り消しうるとした消費者契約法の改正が行われており、カルト的な商行為に一定の規制がかけられましたが、今後はこうした方向性で一歩踏み込むことを検討すべきではないでしょうか。

具体的には、宗教法人に対する個人の寄付について、一定範囲の親族などの利害関係者が、生計の維持など相当な理由をもとに取り消すことができるようにする、といったことが考えられるかと思います。消費者行政の範疇で救済措置を設けることになるのでしょうが、「信仰は自由だけれども家族を巻き込まない程度に」となったところで、穏当に運営されている宗教法人ならばそんなに困ることはないように思うのですが…。

参考として、政治団体への寄付について触れますが、政治資金規正法に規定されるように、個人が一つの政治団体に対して行える寄付の額は年間で150万円までと定められており、政治団体側も5万円を超える寄付を受けた場合は相手先を公表しなければなりません。これと同じことを宗教法人に課すべきだとは言わないにしても、公益性が認められるが故に非課税であるという原点に立ち返って、宗教とカネの問題を整理することくらいはしなければならないのではないかと、最近は考えています。