去る11月28日から12月3日までの日程で、福岡市の友好姉妹都市であるフランスのボルドー市へ出張してきました。
今年は両市が姉妹都市になって40年の節目にあたります。5月にはボルドー市のピエール・ユルミック市長をはじめボルドー市の市議会議員団が福岡市を訪問し、様々な記念行事や交流事業が行われました。
今回は答礼の意味も込めて、市長・議長をはじめ福岡市議会の4会派から選出された議員がボルドー市を訪れ、経済や環境技術などの分野での両市の協力関係を深化させるとともに、様々な記念行事やボルドー市の協力を得た行政視察を通じて、更なる相互理解と今後の連携強化を確認しました。
今回の出張の正式な報告書は、議会事務局を通じて後日公表されますが、私は個人の判断で、「ボルドー市の現状」「特産品であり福岡市とボルドー市を結ぶ重要なアイテムであるワイン」、さらには「参考になると感じたボルドー市の政策」などに関して見聞きしたことをご報告し、市民の皆さまとの共有を図りたいと思います。
なお、時系列は気にせずにまとめることを、あらかじめお断りしておきます。
まずはボルドー市の概要から。北緯44度あたりに位置し、日本で言えば北海道の知床半島とほぼ同緯度。ヌーヴェル・アキテーヌ地域圏の首府であり、ジロンド県の県庁所在地でフランス南西部の中心都市。人口はおよそ25万人(2015年)で福岡市の6分の1、面積も約49平方キロで、福岡市の約343平方キロと比べればかなり小さな町です。
市内を流れるガロンヌ川は紀元前のローマ帝国支配時代から物流の大動脈になっていて、石造りの建物が建ち並ぶ「旧市街」の街並みは、港湾都市としての長い歴史を今日に伝えるとともに、ユネスコの世界遺産にも指定されています。
古くから栄えた港町である点は、アジアに向けた我が国の交易の玄関口として栄えた「博多」のまちとの、大きな共通点と言えそうです。
12世紀にはボルドーの一帯が、当時のイギリス王朝の統治下に入り、その時代にボルドー産のワインが他の産地よりも優遇されるようになった(年間のうち最もワインが飲まれる年末にかけて、当時の最大のワイン消費地であったイギリス向けの輸出は、ボルドーからの積み出しに限定された)ことで、この地域のワイン産業がさらに盛んになったそうです。
ちなみに、いま世界的にワイン1本の内容量が750ミリリットルとなっているのは、当時のイギリスで液体を計るのに使われていた「ガロン」という単位が4500ミリリットルだったことと深く関わっているとの説があるようです。
というのも、当時の1ガロンを6本の瓶に分けるとちょうど750ミリリットルになって「キリが良かった」ようで。さらに言うと、ボルドーで醸造に使われる「樽」は、今も昔も225リットルが主流らしく、そうすると1つの樽からはちょうど300本のワインが取れる計算になります。
中世にボルドーの一帯を支配したイギリス王朝との関係が、現在の世界のワイン産業の標準を作ったと言えるのかもしれません。
中世フランス王朝の勢力が、フランス国内のイギリス王朝支配地を取り戻すために戦われた「百年戦争」において、英仏両軍の最後の戦闘が行われたカスティヨンは、ボルドーの郊外でした。敗れた英王朝の勢力が最後までこの地域を死守しようとした姿勢を見ても、ボルドーの価値が当時からどれだけ高かったのかを伺い知ることができます。
このように、古くから栄えたボルドーですが、現在のフランスを見渡しても人気急上昇の地方都市だそうで、コロナ禍以降はパリから転居する人々が増加し、地価も急速に上昇しているそうです。
滞在中、目に見えた範囲でも、住宅やオフィスの開発がかなり盛んに行われていました。
ボルドー市の政治体制は、長らく保守色が強かったそうですが、2020年の地方選挙で「緑の党」が躍進を遂げ、ユルミック市長が就任して以降は、市街地からの自動車の排除と路面電車「トラム」の空港延伸をはじめとする路線拡充、さらには自転車専用道の整備などによる「脱炭素」の取り組みが徹底して進められています。
今回は住宅やオフィスの開発が盛んに行われているサン・ジャン駅(フランスの新幹線にあたるTGVの終着駅の1つで、福岡市で例えると「博多駅」⁉︎)」の南東部を、ボルドー市当局者の案内で視察しました。
下に掲示する写真の通り、高層の立体駐車場の柱や梁(はり)になんと木材が使われています。ボルドー市では今、高層の建築物を造るにあたって一定量の木材の使用を義務づけているそうです。これは木材が二酸化炭素を吸収することを見越しているとのこと。郊外に大きな森林地帯があり、国産の木材がふんだんに使えるのだとか。
木を切ってから建築用に使用するためには、数年から10年程度の乾燥の期間を置く必要があると聞いたことがあります。だとすれば、ボルドー市に見られる建築物の「木質化」の先進的な取り組みを福岡市ですぐにマネすることは難しい(近年、我が国の木材の輸入事情は非常に厳しく、海外からモノがなかなか入って来ないことが建築費高騰の大きな要因にもなっている)のかもしれませんが、地域産木材の活用は福岡市でも重要な政策課題の一つであり、数年後から10年後に向けて今から手を打って、ボルドー市の背中を追いかける価値は大いにあると感じました。
こうした脱炭素の取り組みについては、ユルミック市長が自ら公務の移動に率先して自転車を使っておられるあたり、気合いの入れようが違いました。お昼にワインを飲んで食事をしたはずの彼が、直後のイベントに自ら自転車をこいでやってくるという一幕もありました。正直に言って「そこまでやるか!」と驚いたのですが、昼間からワインを飲む文化があるフランスでは、飲酒運転の取り締まり対象となる基準が日本よりも3倍以上緩いそうですから、ご当地ではまったく問題のない行動だったようです。
他方、現地でお世話になった複数の通訳の方によると、急進的な脱炭素の取り組みは必ずしも市民からの賞賛を受けているわけではないようです。トラムの延伸や自転車専用道の整備がまちのあちこちで進められているため、工事の影響で渋滞がひどくなっていることについては「苦情」もかなり多いとのこと。
このように、市長が交代したことを受けて、市の政策がドラスティックに変わるのは、フランスの地方選挙制度の影響だと考えられます。現地の市議会議員から教えて頂いたのですが、フランスの地方議員の任期は6年で、有権者が政党を選ぶ「比例代表制」で選挙され、第一党になった勢力の名簿で1位に登載されていた人物が、市長に選出されるとのこと。直近の2020年のフランス地方選挙で躍進した「緑の党」は、ボルドーでも第一党になりました。このような地方選挙制度なので、フランスでは各市の市長が市議会の議長も兼ねているそうです。
そうすると、市長と議会多数派が同じ方向をむいて仕事をすることになるので、かなり「やりたい放題」が通用する可能性があります。
一方で、日本では市長と地方議員は別に選挙されて、議員は市長の様々な提案に同意をしたり、予算をはじめとする議案を修正・否決する権限を持つことによって、市長の仕事ぶりを監視しています。ボルドー市議会の定例会は、通常なら会期が「1日」に設定されるそうで、想像するにほとんどが「予定調和」の世界なんだろうなあと思います。彼我の政治の進め方には大きな差異があることを知りました。
滞在3日目にはボルドー市議会議員との意見交換会が市議会の議場で開かれたのですが、市庁舎と市議会の議場は、かつて宮殿だった場所に置かれていて、議場が完成したのは1889年とのこと。彫刻、シャンデリア、ステンドグラス、高い天井、皮張りの椅子、年代物の机、どれを眺めても、気後れしてしまうほどの重厚さを感じさせられました。
以上、ボルドー市の現況について思いつくままに書いただけでも、かなりの長文になりました。次回はワイン文化や両市の今後の交流の展望について書きたいと思います。