出張報告の2回目はまず、ワイン文化から。
今回のボルドー市への滞在は3泊4日、公務があったのは3日間で、4日目は帰国に向けた移動日でした。
市内の移動は貸切バスや徒歩が主な手段だったのですが、やはりワインのまちらしく、市民も観光客も、仕事途中と思われるスーツ姿の人も、カフェのテラス席では常に誰かがグラスを傾けていました。
昨日のボルドー出張報告の第1回の冒頭で、私は「ワインは両市を結ぶ重要なアイテムである」と書いたのですが、それは40年に渡る姉妹都市交流の成果の1つとして、ボルドー市の特産品であるワインのアンテナショップが福岡市に出店しているからであり、さらには市役所西側広場では毎年定期的に「ボルドーワイン祭り」が開かれているからです。今回の交流行事ではボルドーのワイン産業の振興に対する福岡市の貢献について、様々な記念行事で挨拶に立たれたユルミック市長だけでなく、たまたま隣り合わせになったボルドー市の議員さんからも、率直な感謝の言葉が聞かれました。
滞在2日目の公務が終わった後は、ボルドー近郊のサンテミリオンの村を訪ねました。ここでワインの醸造所である「シャトー」を一軒訪問し、ブドウの収穫から選別、タンクや樽の中での発酵から瓶内発酵に至るまでの醸造過程について説明を受けました。
訪ねたのは「シャトー・ショーヴァン」という醸造所ですが、細かい話をすれば、サンテミリオンの「2級格付けシャトー」です。こちらでは今年、ステンレス製のタンクを新調したとのこと。従来の円柱形とは違い、円錐形になっているのには理由があるそうです。シャトーの従業員の方の説明によれば、ワインの製造では収穫したブドウを皮ごとタンクに漬け込み、糖質が分解されてアルコールが生じるなどの発酵が進んでいくにつれて、次第にブドウの皮や種が浮いてくるらしいのですが、それが自然と集まって取り除きやすいようにという工夫で、このような形状になっているとのこと。
サンテミリオンでは最低でも樽の中で15ヶ月の熟成を経なければワインを出荷することができないそうです。ブドウも手摘みだけしか許されないらしく、「収穫の季節は季節労働者だけじゃなくて不法移民も総出でやっている」などと、果たして笑っていいのかよくわからない解説もあったのですが、とにかく気の遠くなるような手間と多額の費用をかけながら、毎年のワイン造りが続けられていることを理解しました。
サンテミリオンは、中世からの石造りの街並みが残る小さな村ですが、こうした歴史的な建造物だけでなく一帯に広がるワイン畑までもが世界遺産の指定を受けているそうです。このため「格付けシャトー」であろうがなかろうが、近隣の畑を買ったり、自前の畑を少し広げようとするだけでも、所定の手続きを踏まなければならないのだとか。
全てのシャトーのブドウの作付け面積が、サンテミリオンの主力品種であるメルローや、カベルネ・フラン、カベルネ・ソーヴィニヨンといったブドウの品種ごとに分けて、事細かに登録されているそうで・・・。地平線まで続くかと思うほどに広大なブドウ畑は、私の目にはなんとも尊いもののように映りました。
サンテミリオンの格付けシャトーになるためには、10年ごとの格付け審査をクリアする必要があります。この点が、ボルドーワインの最有力産地であるメドック地区の格付けとの大きな違いと言えるでしょう。メドックのワインといえば、シャトー・マルゴーやシャトー・ラトゥールなど(ボトルは見たことはあるけど一度も飲んだことがない)かの有名な五大シャトーを頂点とする格付けを有しますが、この格付けは、ナポレオン3世が命じて1855年に制定させたもので、一部の例外を除いてずっと変わっていないそうです。そう聞くと、10年ごとに評価が問われるサンテミリオンの格付けの方にシンパシーを感じざるを得ませんでした…。
余談ですが、ボルドー商工会主催の夕食会で、メドックの格付けに関する本を記念品として頂きました。判読可能な英語表記の部分を読むだけでも(フランス語部分は残念ながら全く読めません…)この地の人々がボルドーワインの歴史にどれだけの誇りを持っているのかを伺い知ることができました。
サンテミリオンの村では、中心部にあるワインショップを覗いてみたのですが、日本には輸出されていないという小規模生産のシャトーのワインが数多く売られていました。こうしたものが、福岡市に開設されたボルドーワインのアンテナショップに並べば、さらに魅力が伝わるだろうなぁと感じたので、後日、そんな視点で改めて西中洲のアンテナショップを訪ねてみたいと思います。
長々とワインについて書きましたが、これらほとんどの記述はサンテミリオンを尋ねたことで頭に入った知識で、付け焼き刃の感は否めないものの、ボルドーの市議会議員との意見交換や食事の際に、相手方のまちの産業や歴史に敬意を示す材料として役立てることができました。
文化に関していうと、ワイン以外にもう一つ、違うテーマの視察をしました。
第二次世界大戦中、フランスはナチスドイツの占領下にありましたが、大西洋に注ぐガロンヌ川(ボルドーの下流ではジロンド川と名を変える)の物流で栄えた港町・ボルドーならではの戦時の遺構として、旧ドイツ軍が建造した大きな「潜水艦ドック」が残っていました。
64万立方メートルというとんでもない量のコンクリートを使った鉄筋造で、大戦中に反撃を試みたイギリス軍などの空爆を受けてもビクともしなかったそうです。戦後になって取り壊すのも容易ではなく、別の用途で活用することを決めて事業者を公募した結果がこちら。
壁面にプロジェクターを使って画像を投影する「プロジェクションマッピング」の技術を応用したデジタルアート美術館になっていました。2020年にオープンしたこの「光の池」を、ボルドー市では新たな観光スポットとして強く打ち出しているそうです。
施設を案内して下さったボルドー市当局者によると、投影されるのはルーブル美術館所蔵の有名絵画なども交えた3〜40分程度のプログラムで、この日はイタリアのベネツィアにちなんだ絵画がメインでした。使われている大型プロジェクターの数は100台以上。壁面だけでなく足元の床に投影された画像も動くので、立ち止まっているのに体が移動しているかのような不思議な感覚がありました。
かつての大戦の遺構を、芸術表現の場、さらには年間50万人が訪れる観光資源に変えてしまうあたりはさすがと言うほかありません。この潜水艦ドックには11の係留池があり、デジタルアートで活用されているのは半分程度。ボルドー市の担当者からは残りの活用に向けて、今後事業者の公募を進めていくという説明がありました。
さて、コロナ禍以降、パリから多くの移住者を迎えているボルドーですが、ユルミック市長体制になってからというもの、脱炭素をはじめとする環境政策に急激に力を入れたこともあり、最先端の環境技術分野の企業の立地も進んでいるとのことでした。
当地の商工会議所で開かれた意見交換会では、近年、ボルドー市に拠点を移したというクリーンエネルギー関連の企業の社長から話を聞き、日本の市場、とりわけ九州エリアに大きな関心を持っているという説明を受けました。
民間企業の活動に関することなので、細かいことを述べるのは差し控えますが、この場でのやり取りの延長がいずれ今回の40周年記念交流の成果の一つとして発表されるのではないかと期待をしています。
以上、2回に分けて今回のボルドー出張について個人的な報告をしました。今回の出張で広めた見聞や得た知識については、福岡市に対する政策提言をはじめ、今後の議員活動に十分に生かしていきたいと思っています。